2008年12月01日

永久欠番

世界のスポーツ界で永久欠番というのはけこうあるようです。

野球・サッカー・バスケットボール・アメリカンフットボール・
アイスホッケー・モータースポーツなどです。

日本ではこの中でプロ野球とJリーグにありますね。今回はこの中でプロ野球の永久欠番について述べてみます。

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現在全球団の永久欠番を合計するといくつあると思いますか?
読売ジャイアンツ6人 阪神タイガース3人 中日ドラゴンズ2人 
広島東洋カープ2人 横浜ベイスターズ1人 
北海道日本ハムファイターズ1人 東北楽天ゴールデンイーグルス1人で合計16人の永久欠番の選手がいるので16です。

全球団の永久欠番の内訳はこうです。

(以下引用)
読売ジャイアンツ

1-王貞治(一塁手) 1989年3月16日

入団から監督を退任するまで30年間にわたって着用。同一人物による途切れなしの30年間の使用は日本最長である。

3-長嶋茂雄(三塁手) 1974年11月21日

第2期監督時代の2000年-2001年にも着用。

4-黒沢俊夫(外野手) 1947年7月9日

黒沢俊夫の背番号4については、本人がシーズン中に病死した事情もあり、「4は死に通じて不吉だから永久欠番にした」という説があるがこれは俗説。
千葉茂の 著書や証言に拠れば、ほとんどの主力選手を軍隊に取られた戦時下に、球団史上初のトレードで移籍後、4番を打ち、
戦後も病に倒れるまで5番・6番打者として活躍した本人への感謝の意として千葉を中心とする選手有志が提案し、沢村栄治と共に永久欠番になったとの事。
黒沢が遺言として「私が死んだら、遺体に巨 人軍のユニフォームを着せて葬って欲しい」と残した。

14-澤村榮治(投手) 1947年7月9日

沢村栄治の背番号14は、1943年までは沢村が着用していたが、

戦後のプロ野球再開時である1946年には今泉勝義、坂本茂が着用。その後、永久欠番に指定された。

16-川上哲治(一塁手) 1965年1月18日

34-金田正一(投手) 1970年4月2日

国鉄時代の背番号34は欠番となってない。


阪神タイガース

10-藤村富美男(三塁手) 1958年11月30日

球団創設以来、背番号10をつけた選手は藤村のみである。これは永久欠番で唯一の事例である。

11-村山実(投手) 1972年11月2日

第2期監督時代の1988年-1989年にも着用。

23-吉田義男(遊撃手) 1987年10月13日

1969年の現役引退以降、相応しい人物が入団するまで一時的に欠番とされたが、着用した選手はいなかった。日本一となった第2期監督退任に合わせて永久欠番とされた。


中日ドラゴンズ

10-服部受弘(投手・捕手) 1960年3月20日

2軍監督時代の1977年にも着用。OB戦に出場する際は「僕は永久欠番をもらっている。簡単に陽の目にさらすような真似はできない」として背番号10のユニフォームを裏返して参加するなど、その栄誉に人一倍重きを置いていた。

15-西沢道夫(投手・一塁手) 1959年3月15日

ヘッドコーチ・監督時代の1963年-1966年にも着用。


広島東洋カープ

3-衣笠祥雄(一塁手・三塁手) 1987年9月21日

8-山本浩二(外野手) 1986年10月27日

第2期監督時代の2001年-2005年にも着用。


横浜ベイスターズ

100-球団に対して貢献のある複数の著名人 1997年11月11日

#8226; 初めて与えられたのは1997年11月11日、前宜野湾市長の桃原功。


北海道日本ハムファイターズ

100-大社義規(日本ハム球団初代オーナー) 2005年5月1日


東北楽天ゴールデンイーグルス

10-イーグルス・ファン 2004年12月17日

スタメン9人に続く10人目の意味。日本プロ野球界では初の試みである。
(情報元:ウィキぺディア)

やはりプロ野球に貢献した一流の選手たちが付けていた番号ばかりですね。名前を言ったら背番号が出てくる人ばかりです。

その中でちょっと意外だったのが金田正一投手の国鉄スワローズ時代の34は永久欠番になっていなかったのですね。

また途中で失効したり消滅となった永久欠番もあるようです。たとえば西鉄ライオンズの中西太(三塁手)の6、
それから稲尾和久(投手)の24は
福岡野球株式会社「後の太平洋クラブライオンズ・クラウンライターライオンズの運営会社」への球団譲渡により消滅しています。

そしてヤクルトスワローズの大杉勝男(一塁手)の8は広沢克己選手に背番号を譲ったため消滅。

つぎに大阪近鉄バファローズの鈴木啓示(投手)の1は、やはりオリックス野球クラブ株式会社に営業譲渡したために消滅しています。

永久欠番のことについても色々なストーリーがあるんですね。

今年もプロ野球のドラフトと会議がありましたが、新日本石油の
田沢純一(投手)が希望通りボストンレッドソックスと3年のメジャー解約を結びました。

日本のプロ野球を経験しないでいきなり大リーガー入団です。この田沢投手はドラフト会議前にメジャーリーグへの挑戦を表明したので
日本のプロ野球球団はだれも指名しなかったのですが日米の
ドラフトのルール見直しまで発展しましたね。

今日の曲 
サウスポー  ピンクレディ  

この曲はちょうど王貞治(一塁手)が1977年9月3日に
ハンク・アーロン選手の持つ本塁打記録を上回る756号をヤクルトの
鈴木康次郎打ってホームランの世界記録を塗り替えたのがのですが、
その翌年1978年にヒットした曲ですね。

王選手はこの年に800号の本塁打を打ち1980年の現役引退まで868号のホームランを打ちました。
すごい記録ですね。

私がいま日本のプロ野球よりの大リーガーで活躍すしている松坂投手やイチロー外野手のほうが気になってしまいます。
またメジャーリーグで活躍している選手があると嬉しくなってしまします。

そんなに日本のプロ野球は面白くなくなってしまったのでしょうか。この永久欠番になるようなすごい選手は今後出てくるかわかりません。

またいきなりメジャーリーグにいった田沢純一(投手)はどこまで活躍するかわかりません。

でも何かパッと輝くものを見たみたい気がしています。

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posted by ゼロム at 15:43 | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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